今更ながら、漫画『聲の形』を読み終えました。
ヒロインが障害者だという事以外、この作品の内容はよく知らなかったんですが
ネットで「蟹の声」とかネタにされてることもあって、ジャンプとかでありがちな普通のラブコメだと思ってました。
ところがいざ読んでみると、全編に渡って、いじめたり 罵倒したり 殴りあったりの殺伐とした雰囲気…
読み進めるのが辛かったです。。
聲の形を読んでいて面白いと思ったのは、それぞれの登場人物の考えや心理描写がきっちりと描かれていて、息遣いが聞こえてきそうなくらいリアルに感じられることでした。
作者の大今良時さんは、人の気持ちを推し量ることのできる人生経験豊富な方なんだろうな、と尊敬の念を抱きました。
物語前半を読んでいるときは、西宮や主人公の将也をいじめていたクラスのやつらがただただ悪人にしか見えませんでした。
でも、そこで単純に「いじめる側は悪いやつ」という安易な位置づけで終わらず、後半で彼らの考えを見せることで物語に深みを出しているんですね。
姉御肌 植野直花の正義
代表的なのが、主人公に言い寄るスリム美人の植野さん。
彼女は小学校時代、西宮硝子に陰湿ないじめをしていた一人ですが
それを最後まで決して謝りませんでした。
彼女にとっては、あのいじめは「注意」しただけ。
障害者にもかかわらず普通学級に入って周りに世話を焼かせる西宮に憤り、いくら言ってもへらへら笑うだけの西宮に警告するためにいじめを行った。やりたくてやったわけじゃない。
さらに言うなら 西宮硝子は、楽しかった小学校生活に割り込んできて世界を無茶苦茶に壊した極悪人。
植野さんにとっては自分が被害者、西宮が加害者なのです。
…この考えが正しいかどうかはさておき、あの小学校時代の悲惨ないじめも彼女の視点から見ると全く違うものになっています。
そして性格の悪いいじめっ子にしか見えない植野さんも、自分では正義側の人間だと思っているのです。なかなかおもしろいですね。
優等生 川井みきの正義
そしてもう一人注目したいのが、眼鏡の優等生 川井みきさん。
彼女は植野さんと違い、そこまで直接的ないじめをしていたわけではありません。せいぜい、みんなに合わせて西宮さんや主人公を避けたり、陰で悪口を言っていたくらいでしょうか。
ただし彼女は自分が責められそうになると、保身のために平気で他人を蹴落とします。
小学校時代には、まるで将也ひとりが西宮さんをいじめていたように告発し、将也がいじめられるきっかけになりました。
高校時代には、将也が過去にいじめをしていたことを言いふらし、映画製作班を解散に追いやります。
しかし彼女は自分が常に正義だと思い込んでいます。
自分は積極的にいじめをしていたわけではない。悪いのはいじめを率先してやっていた将也や植野直花だ。
自分は常に正しい。そして被害者である。
そんな考えをもっていて、悪気なく周りを利用したり、見当違いな説教をかまします。
話を読んでいて、彼女が人を陥れたり周りを引っ掻き回すたびに「なんだこの悪人は」と腹が立っていたのですが
彼女本人にとってはなるほど、正しい事をしていたのですね。。あくまで「理屈」としては間違ってないような気もします。
その他登場人物の正義
笑顔の爽やかなクラスメイト、真柴くん。
彼は昔いじめられた経験から、いじめにはとても敏感です。
ほの暗い復讐心を持ち、「いじめをしたものはいかに不幸な目にあっても仕方ない」という考えを持っているようにも感じます。
将也が昔いじめっ子だったことを知り、無関係であるにもかかわらず平然と将也を殴りつけます。
でも、これも彼にとっては正しい行いなのでしょう。
小学校時代の将也の親友、島田くんは
将也が西宮硝子へのいじめで糾弾されて以降、手のひらを返したように将也をいじめ始めます。
島田くんはそもそも、西宮さんへのいじめを快く思ってなかったようです。何度か止めようとしましたし。
将也がいじめられるのは、当然の報いだと思ったのかもしれません。
西宮さんのお母さんは、西宮さんがなめられないようにとムリヤリ普通学級に通わせますが
それが原因で西宮さんは何度もいじめにあい転校を繰り返しています
しかしお母さんにとっては自分は正しく、周りが悪ばかりなのでしょう。
人は皆、自分が正しい信じ込んでいる
この漫画を読んで、ふと昔流行ったドラゴンナイトという曲を思い出しました。
人はそれぞれ「正義」があって
争い合うのは仕方ないのかもしれないだけど僕の嫌いな「彼」も
彼なりの理由があると思うんだ
――ドラゴンナイト / SEKAI NO OWARI
いやな人間にも、その人なりの考えがあるのかもしれない。
だから、ただ憤るだけでなく、その人の考えを聞いてみることも有益かもしれない。
それから
自分の正しさが偏っていないか、周りに迷惑ををかけていないか、ときどき考えてみることも大事じゃないだろうか。
そんなことを考えされられました。
関連記事:デブは「だらしない人」なのか?→その人なりの事情があるかも
ヒロインの謎
最後に一つ、どうしても気になったことがあります。
これだけ周りの人物の気持ちを掘り下げているのに、
なぜかヒロインである西宮硝子の心理描写だけが一切ないということです。
言葉が話せなくたって、文章で考えることはできるはずなのに。
西宮さんに関しては、かわいそうで、ちょっとアホな子という印象しかありません。
これでは
いじめられたのに皆を恨まない理由や、
なぜしょっぱなから将也に惚れてるのかすらわかりません。
心がひたすら純真で、勝手に主人公に惚れてしまう都合の良いヒロインというか
平面的なキャラクターになってしまっています(かわいいけど)。
なにか意図があるのでしょうか。
「いじめられる側にも原因がある」という卑怯な言葉
最後に、いじめ問題について少し語ります。
たまに「いじめられる側にも原因がある」という言葉を聞きますが、これはすごく卑怯な言葉だと思います。
「きっかけ」という意味でなら、なるほど、確かにいじめられる側にも原因はあるでしょう。
一人だけ空気が読めないとか、
一人だけ方言が入ってるとか、
一人だけ持ち物の色が違うとか、
ブサイクだとか・・・
どんなことだって「原因」や「理由」にはなりえます。
ですが、だからといって「いじめても良い」理由にはなり得ません。
もし、その子に悪い所あれば 口で注意して、それでも改善しなければ相手にしなければいいだけの話。
いじめられる側に、至らない所があったからといって、
いじめを正当化したり、いじめ加害者の罪を軽くする口実にはできないのです。
それをさも、いじめられる側にも責任がある。当然で仕方のないことだ。
というようなニュアンスに聞こえてしまう「いじめられる側にも原因がある。」という言い方は、私たちを上手く言いくるめようとする方便ではないでしょうか。
過去にいじめをした事がある人達は、このような下手な言い訳をせずに、はっきり罪を認めていただきたい。
そのうえで開き直るか、反省するかは本人次第。勝手にどうぞですが。