「いじめられる側にも原因がある」という卑怯な言葉

「いじめられる側にも原因がある」という卑怯な言葉


いじめ問題の話になると、たまに「いじめられる側にも原因がある」という言葉を聞きますが、これはすごく卑怯な言葉だと思います。

「きっかけ」という意味でなら、なるほど、確かにいじめられる側にも原因はあるでしょう。
一人だけ空気が読めないとか、
一人だけ方言が入ってるとか、
一人だけ持ち物の色が違うとか、
ブサイクだとか・・・
どんなことだって「原因」や「理由」にはなりえます。

ですが、だからといって「いじめても良い」理由にはなり得ません。
もし、その子に悪い所あれば 口で注意して、それでも改善しなければ相手にしなければいいだけの話。
いじめられる側に、至らない所があったからといって、
いじめを正当化したり、いじめ加害者の罪を軽くする口実にはできないのです。

それをさも、いじめられる側にも責任がある。当然で仕方のないことだ。
というようなニュアンスに聞こえてしまう「いじめられる側にも原因がある。」という言い方は、私たちを上手く言いくるめようとする方便ではないでしょうか。

過去にいじめをした事がある人達は、このような下手な言い訳をせずに、はっきり罪を認めていただきたい。
そのうえで開き直るか、反省するかは本人次第。勝手にどうぞですが。

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